人類学及び歴史学の研究において、主体たる研究者は、他者に対する考察から逃れられない。人類学が考察するのは文化距離上の他者で、歴史学が考察するのは時間距離上の他者である。本稿の焦点は、エスニック·グループどうしが相互に影響し合う中で、主体たる自己と他者との関係、そしてそれらに関わる文化と時間の概念が、いかにエスニック·グループのアイデンティティと歴史認識において表現されているかという問題である。本稿は、中国貴州省東南部で、現在、ミャオ族及び「
家」と呼ばれるエスニック·グループが、漢族主導の異なる歴史時期における国家体制の下で、双方が如何に影響し合ってきたかを検討するものである。資源をめぐる競争及び権力関係において、弱い立場にあるエスニック·グループが、枠組みとして構築された他者のアイデンティティに如何に対処するか、これを考察することを通して、異なった歴史時期の中で、黔東南ミャオ族及び
家のエスニック·アイデンティティとその歴史認識が、どのように形成され、かつ相互に影響を及ぼし合ってきたかを検討してみたい。